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実録!精神病院『鍵付き病棟』で見た恐怖の実態と、アルコール依存性の父の最期。

私の父はアルコール依存症で

79歳の時、とある精神病院の鍵付き病棟へ入院しました。

すでに高齢で、長年のアルコール大量摂取による脳の萎縮から、

アルツハイマー病と半身不随、更に糖尿病も患っていた父は

いわゆる断酒のプログラムをこなすなどといった療法の対象外で、

自宅にも置いておけず、

高齢者施設でも預かってもらえず、

仕方なく精神病院へ入院させる以外どうしようもなくなっていたのです。

 

精神病院というと、

ましてや鍵付き病棟というと、

狂った患者が日夜叫んでいたり、徘徊していて

さながらバイオハザードの様な異様な光景が

繰り広げられているといったイメージだったのですが…

まさにイメージそのもので心底驚きました…。

 

まず、入院初日。

看護師さんに案内された部屋は男性だけの4人部屋。

入った途端、床にトイレットペーパーが散乱していて、

仕切りもなく剥き出しのまま置かれたポータブルトイレが

部屋の真ん中にあって共同で使うという

かなり衝撃の光景でした。

 

入院の準備をしていると

向かいのベッドの30代くらいの男性が声をかけてきました。

「ねえ、どうしてここ来ちゃったの?」

ちょっとオネエ口調でニコニコした男性。

「アルコール依存症で…。」と返事をすると

「そう。

僕はね、覚醒剤。

幻覚見て窓から飛び降りちゃって足の骨折っちゃったから

しばらく整形外科に行ってたんだけど今日戻って来たの。

これからよろしくね。」

∑(゚Д゚)

今「覚醒剤」って言ったよね…?

犯罪者じゃないですか!!

そんな人と同部屋!?

同じ依存症とは言え…ちょっと…

父はアルコールなんで犯罪者ではないんだけど…

でも、結局最後は同じってことなのか…と

ものすごくショックでした。

ていうか、覚醒剤使用者って初めて会ったよな…。

 

男性の枕元には家族と写したと思われる写真が置かれていました。

多分、この人のお母さんと兄弟…。

どうして覚醒剤になんかに手を出して、

この若さで精神病院に入院しなくちゃいけなくなっちゃったんだろう…。

なんか…怖いというより哀れで、気の毒で…。

どんな家庭環境だったのかは分かりませんが

家族の写真を飾っているということは

今でもこの人の一番の心の拠り所なんだと思いました…。

 

そして、食事を摂る大部屋に移動すると

そこはまさにバイオハザードの世界…。

 

「バカヤロー!!バカヤロー!!

やんのかテメエ!!コノヤロー!!」とか、

「ご飯だよ〜!!○ちゃんご飯出来たよ〜!!」

など、大声で叫び続ける年配の男女数人が車椅子に座ったまま

壁際に並んでいます。

 

方や、目が見えないのか無表情で真っすぐにこちらに向かって突進してくる

ガリガリに痩せた60代くらいの男性がいて、

急いで避けると、男性はそのまま壁にぶつかり、

ぶつかった壁に向かってずっと足踏みをし続けています。

 

また、防弾ガラスの向こうのナースステーションに向かって

「すみませ〜ん、すみませ〜ん。」と

ずーっと弱々しくガラスを叩き続けている男性もいます。

 

ガリガリに痩せて白髪でバサバサのオカッパ頭の

でも、顔は40代くらいの女性は、

ヨダレと尿を垂らしたまま歩いていました。

お父さん、これから毎日こんな所で1人で過ごすんだ…。

かわいそう過ぎる…。

でも、家に連れて帰るわけにはいかないんだから…。

仕方ない…。

 

食事を終えて大部屋に戻ると

さっそく父のカーディガンとメガネが無くなっていました。

探すと隣のベッドに置いてあり、

多分、隣のベッドの人が自分の物と分からずに持って行った様でした。

隣の人って誰なんだろうと思っていたら、

戻って来たのは

さっき、壁に向かってずっと足踏みをしていたあの男性でした。

 

母がすかさず男性に

「このカーディガンとメガネ、うちのだからね。」と言うと

また男性は無表情でこちらへ真っすぐに突進してぶつかって来ました。

そして、ブツブツ独り言を言っているのです。

すると、向かいのベッドの覚醒剤のお兄さんが

「その人、目も見えてないけど耳も聞こえてないみたい。

前からずっとそうだから、何言ってもムダよ。

ここでは持ち物なんてすぐ無くなっちゃうんだから、気をつけて。」

と教えてくれました。

…ここで一番まともなのは、この覚醒剤のお兄さんという現実…。

 

すると、アルツハイマーで

すっかり普通の会話が難しくなっていたはずの父が突然

「ここはキチガイばっかりだから、アンタ達、もう帰んなさい。」

と言ったのです。

すっかりボケてしまっていたと思っていたのに

父はちゃんと分かってたんだ…。

だったら、だったら、

本当に気の毒でかわいそうだよ…(;ω;)

 

この後、週に一回のペースで

母と、当時幼稚園児だった子供達と一緒に父の元に通いました。

本当は子供達を連れて行く様な場所ではなかったと思いますが、

どうしても父がかわいそうで…

当時の私にできるせめてもの親孝行だったのです…。

 

しかし、いつ行っても私達以外の面会者はいませんでした。

看護師さん達も、家族が来ないのが当たり前の様で

私達が行くと若干迷惑そうな雰囲気すら醸し出していました。

 

そして、ある日面会に行くと

父はベッドに腰と腕を拘束され、

ナースコールも押せない様にガムテープで天井の辺りに固定されていたのです。

驚いて看護師さんに聞くと、

父は夜中に何度もナースコールを押し続け、

何度もトイレに行きたがるそうで、

オムツを履かせてもとにかくトイレ、トイレと

騒ぐのでどうしようもなかったとか…。

ナースコールを押せない様に固定したら

今度は壁を叩き続けて「すみませ〜ん、すみませ〜ん」

と呼び続けるとかで、

やむを得なく腕も固定せざるを得なかったということでした。

確かに、これは自宅でもやっていたことで

身長170cm体重70Kgの半身不随の父を

トイレに連れて行くのは本当に至難の技でした。

しかも、5分おきにトイレに行きたがるので

もう自宅でも面倒を見るのは限界だったのです。

 

これを境に、

父はいつ行っても朦朧とした様子になり、

看護師さんに聞くと

鎮静剤を投与しているとのことでした。

要するに、うるさいから薬で大人しくさせているのです。

でも、自宅に連れて帰れない以上文句も言えませんでした。

 

そして、ある日の父は、目の周りがマンガで見るみたいに

真っ黒に丸くアザになっていたのです。

明らかに誰かに殴られた様でした。

しかし、看護師さんは誰も知らないという一点張りで、

アルツハイマーの父に聞いても、もちろん何も覚えていません。

すると向かいのベッドの覚醒剤のお兄さんが

「お父さん、やられちゃったのね。

僕も詳しくは知らないけど、

お父さん、夜中いつも随分騒いでたから…。

でも、ここじゃこんなこと、あることよ。」と言うのです。

結局うやむやのまま、我慢するしかありませんでした…。

 

また、母が父のために差し入れた結構な量の自家製梅干しを

ナースステーションの冷蔵庫に預かってもらっていたのですが、

ある時全て無くなっていました。

あんなにあったのに、どうして?

看護師さんに聞いても、みんな知らないと…

仕方ない…ここは、普通の病棟では無いのです。

 

そして、父が入院してから1年が過ぎようとしていた頃、

突然、母から「お父さんが危篤だって!すぐ病院に来て!」

と電話がきたのです!!

「え?どうして!?先週まで元気だったじゃない?」

もう、とるものもとりあえず

転がる様に慌てて病院に駆けつけると

母と弟がお医者さんから説明を聞いているところでした。

お医者さんの説明では

父は誤嚥性肺炎を起こし、すでに危篤状態となり

今は内科病棟に移っているとのことでした。

 

この3日前に、母が1人で父を見舞っていました。

その際、ちょっと顔が赤いと思ったので父に聞いたらしいのですが

「大丈夫だ。」と返事をしたとか。

看護師さんに聞いても、いつもと変わりは無いと言われ

そうかな…と思って帰宅したそうです。

しかし、すでにその時には発熱していた可能性が高いと思います。

でも…ここは普通の病棟では無いのです…。

 

内科に移った父の元へ向かうと、

まず清潔な部屋と親切な看護師さんの対応に安心しました。

1年振りに人間らしい環境に戻った父を見て、

もうあの精神病棟には戻らないで欲しい…と

強く強く思いました。

それはすなわち、父の死を覚悟し、望んだも同然でしたが…

でも、それが本音だったのです。

 

父は危篤状態とは言え意識はあり、

酸素チューブで鼻に酸素を送って

点滴を打っているだけでした。

「これで危篤?」と思いましたが、

お医者さんが言うには

点滴で肺の炎症を抑えているけど、

薬の副作用で心拍数がかなり上がっていて

24時間フルマラソンを走り続けているのと同じ状態だとか。

このままでいくと、炎症が収まる前に心臓が持たないだろう…

ということでした。

 

父はアルツハイマー病を患っているので

家族が泊まりでつくことになり、

初日から5日は母が泊まりました。

そして6日目は私が泊まり、

7日目に父は帰らぬ人となりました。

 

7日目の朝、お医者さんに家族が呼ばれ、

今朝、急に父の片足が壊疽を起こして

このままだと足を切断しなければならなくなったと告げられました。

ただ…切断したところで命が持つかどうかで、

どうしたらいいかという相談でした。

 

40年以上糖尿病を患っていた父が最も恐れていた

足の壊疽…。

でも、今、切断なんかしたってあと何日生きられるの?

お医者さんに余命を聞いても全く分からないとのお返事…。

とにかく、今日中に判断しなければならないとのことでしたが、

一旦話しを終え、母と弟と父の元へ向かいました。

 

病室で寝ている父の足元の布団をめくってみると

紫色になった足が見えました。

幸い、本人は気づいていなさそうなのが唯一の救い…。

父は意識があり、目だけでもみんなに挨拶をしようとします。

 

すると、看護師さんがガラガラと

救急救命用具一式を部屋に運び込んできたのです。

「これは…?」と聞くと

「一応のために用意だけね。」というお返事。

そして、「これからシーツ交換しますね〜。」とのこと。

「あれ?昨日してもらったばっかりですよ。」と言うと

「ええ、ええ、いいんですよ〜。」と言うのです…。

これってもしかして…

今日が父の最期だって知ってるんじゃ…?

回診に周って来た先程のお医者さんに

「もしかして、父は今日亡くなるんでしょうか?」と聞いても

「それは分かりません。」とのお返事でしたが…。

 

結局、様々な事柄から父の命は長くないだろうと判断した私達は

足の切断はしないという結論を出しました。

そして、その日の夜10時頃のこと。

それまで眠っていた父が急に目を開け、

怯えた表情で天井を右左と目で追いだしたのです。

「どうしたの?誰かいるの?」と聞いても

怯えきった目でキョロキョロするばかり。

そして11時頃になると、急に血圧が下がり始め

お医者さんと看護師さんが飛んで来ました。

 

お医者さんが処置をする間、

普通、家族は病室から出されると思うのですが、

元々精神病棟からの患者しか受け入れておらず、

誰の面会も来ないのが普通のこの内科では

こういった光景が今まであまり無かったのか、

家族のいる目の前で処置が施されました。

しかし、点滴を早めたことで父の心拍数は激しく上がり

苦しそうでたまりません。

「延命治療はいりません。」という私達の意向をお医者さんは汲んでくれて

早々に処置は終わり、後は母と私と弟で次々と父の手を握り、

最期のお別れを告げていきました。

「お父さん、いつもかわいがってくれてありがとう。

私はお父さんが大好きだったよ。

お父さんの子で幸せだったよ。

今まで苦しかったね。

頑張ったね。

一緒にいてあげられなくてごめんね。

ありがとう。

さよなら…。」

 

すると、アルツハイマーで会話も難しくなっていた父が

一筋の涙を流し、苦しそうに絞り出した声で

「あ…ありがとう。」と言ったのです。

そして心臓が明らかに弱く打つ様になり、だんだん間隔も空き…

そして、そのまま目を閉じ、二度と開くことはありませんでした。

お医者さんが脈と瞳孔を確認し、

「○月○日、○時○分、ご臨終です。」と静かに告げられました。

お父さん、もうあの苦しかった精神病棟に戻らなくていいんだよ。

良かったね。

みんなで一緒に家に帰ろう…。

父の最期は特殊な環境だったこともあり、

本当に最期の心臓が脈打ち止まるまで

側で送ってあげることができました。

たった1人であの精神病棟に1年もいて

本当に苦しかったと思います。

でも、最期は人間らしい場所で

みんなで見送ることができて本当に良かったと思います。

 

精神病棟の患者さんは帰るところが無い方が多く、

もう何十年も入っている方も少なくないそうです。

父は高齢だったこともあり、

入院期間が短くまだマシな方だったと思いますが

今でもあそこにいるであろうあの人達を思うと

辛い気持ちになります。

 

どれだけ酔っても、暴力や暴言を吐いたことは一度も無く

ただニコニコと大人しかった父。

それでも、やはりお酒は

周りの人間も全て不幸にさせる魔力を持っているのです。

お酒は合法の飲み物で

成人であれば、いつでも誰でも気軽に買うことができ、

違法薬物の様なダークなイメージは全くありません。

でも、行き着く先は合法、違法に関わらず同じ

バイオハザードの世界…。

 

私自身もアルコール依存性の一歩手前まで

アルコールのコントロールができなくなって苦しんだ経験があります↓

アルコール依存症一歩手前だった私が、ある日急に一滴もお酒を飲みたくなくなった話し。

でも、もう体が拒否して受け付けなくなり、

全く飲まない生活が8年続いています。

家族や周囲の人達にお酒で迷惑をかけてしまうのではないか…?

という心配から完全に解放され、心底ホッとしながら暮らしています。

父もアルコール依存性にならなければ

もっともっと違う人生を送れていただろうに…。

 

お酒は合法であっても

決して自分を助けてくれるものではありません。

それどころか、自分も周囲の人達も

全てを苦しめて地獄に落とす恐ろしい薬物です。

それを、父が身をもって私に教えてくれたのかもしれないと

今では思っています。





アルコール依存症一歩手前だった私が、ある日急に一滴もお酒を飲みたくなくなった話し。

私の両親は共にお酒を飲む人達で、

特に父親はアルコール依存症だったので毎日大量に飲酒していました。

アルコール依存症だった父の最期に、アルコール依存症寸前だった私が思ったこと。

 

そんな家庭で育った私も21歳の頃から何となく晩酌を始め、

それからはあっという間に毎日飲まない日は無いという状態になっていきました。

 

夫と結婚した25歳の頃には晩酌で500mlの缶ビールを毎日3本。

多い時にはさらにチューハイや梅酒など甘いお酒もプラスして飲んでいました。

最初は下戸だった夫も

だんだん私につられて毎日ビールやワインを飲むようになり、

今でも毎日350mlの缶ビール1本にチューハイ1缶かワインなどを飲んでいます。

しかし、夫の酒量はこれ以上増える様子は無いので

アルコール依存症にならない人というのは

こういう風な感じなんだなと思います。

 

対する私は、結婚当初にはすでに飲酒量のコントロールが難しくなっており

少し減らそうと思っても出来ない日々で

ビールの代わりに炭酸水を飲んだりと

人知れず工夫しては挫折する日々でした。

 

子供を妊娠中はつわりが酷かったり、切迫早産で入院したりで

お酒は飲まずに済んでいたのですが

産後、母乳育児を終えると

また以前の様に毎日お酒を飲む生活に戻っていきました。

出産して専業主婦になり、年子の育児のストレスもあり、

ビールやチューハイ、ワインに焼酎まで

毎日夕方から飲み始め、夜にはかなり酔ってしまう毎日。

酒量のコントロールは全く出来なくなっており、

夫や子供に随分心配と迷惑をかけたと思います。

 

そんな生活でも、私の周りにはお酒を毎日飲む人達が多く、

自分でもそんなに問題だとは思っていませんでした。

しかし、娘が小学5年生、息子が4年生の時、

自分でも、毎日母親がこんなに酔っ払ってばかりでは

子供の将来に悪影響を与えてしまう、

とお酒を減らしたいと切に願っていた時です。

 

夕食後いつもの様に500mlの缶ビールを1缶飲んだ後に、

これまたいつもの様に赤ワインをマグカップに注いで

ゴクゴクと飲みました。

すると…

急に気持ち悪くなり吐いてしまったのです。

「アレ?体調悪いのかな?」と思ったものの、もったいないと

またマグカップに残ったワインを飲もうと思ったのですが

どうしても飲めずに捨ててしまいました。

こんなことは、今まで無かったので少々驚きましたが

たまたま体調不良だったんだと気にしませんでした。

 

そして、次の日

夕飯時に意気揚々とコップにビールを注いで

いつもの様に飲もうとすると…

どうしてもアルコール臭が鼻について飲めないのです。

何とか一口飲んだものの、全く美味しくありません。

仕方なくビールは夫に譲り、性懲りもなく今度は赤ワインを飲むことにしました。

ビールよりは口当たりが良いせいか多少は飲めましたが、

また急に気持ち悪くなり吐いてしまいました。

さすがに2日連続でこんなことって…

でも、お酒を受け付けない以外に体調は一切悪くなく

むしろ、変に悪酔いするより精神的にも肉体的にも楽だったので、

この日限りで一切お酒は飲まなくなりました。

飲まない様にしてるのではなく、飲みたくなくなったのです。

 

しかし、あれだけ大量に飲酒していた私が急にお酒を飲まないと言っても

最初は周りになかなか信じてもらえず、

「無理しなくてもいいよ。」とか「一口飲んでごらん。」とか、

ノンアルコールビールを用意してくれたりと、

色々気遣ってもらいました。

でも、無理して禁酒してるんじゃなく

もう、アルコール臭を嗅いだだけで一切飲む気がしなくなり、

逆に、みんなあんな毒物をどうして自ら進んで摂取しているんだろうと思うくらい

お酒自体が嫌でたまらなくなってしまったのです。

 

それまで、どう頑張って減らそうと思っても

毎日、必ず大量に飲んでしまっていたお酒と

こんな形であっさりお別れできたのは

本当に不思議としか言い様が無いのですが、

もしかしたら、アルコール依存症で苦しんで亡くなった父が

私を助けてくれたのかもしれないとも思うのです。

 

その頃の私は夜には必ず泥酔し、

時にはキッチンの床で眠ってしまう程でした。

当時小学5年生だった娘がそんな私の姿を見て

「ママ、またお酒飲んでるの…?」と寂しそうに聞いてきた声が

今でも耳に残っています…。

これじゃあ、今の娘は私が幼かった頃と同じだ。

いつも酔って倒れている父を見ると、

お酒の飲み過ぎで早く死んじゃうんじゃないか?

またお母さんに怒られるんじゃないか?と

心配しない日はありませんでした。

こんなことじゃいけない。

子供達にも夫にも心配と迷惑をかけている。

お酒をやめたい!

どうか、どうか神様!

助けて下さい!

私にお酒をやめさせて下さい!

自分ではどうしようも無い状態になっていたにも関わらず、

病院にかかる勇気も無く、

とにかく神頼みをする毎日だったのですが、

そんな神頼みを真剣に始めてから数週間で

急にお酒を受け付けなくなってしまったのです。

 

こんな都合の良いことが起こるなんて

普通では考えにくく、

単に長年の飲酒で内臓が弱っていたため

もう体がアルコールを受け付けなくなっただけなのかもしれませんが、

その後も、お酒をやめさせてくれたかもしれない神様と

父には毎日感謝しています。

 

お酒の怖さを、もっと若い頃から知っていたら

あそこまでになる程

最初からお酒を飲んでいなかったかもしれません。

私の若い頃は

まだ飲み会でのイッキなど、飲酒の強要は当たり前で、

むしろお酒を飲めないなんて一人前じゃないという空気でした。

でも、今の子供達は小学校で飲酒の怖さについて学んでいる様で

本当に良いことだと思います。

 

子供達の記憶には

私がお酒を飲んでいたことは残っていますが、

そう大きなダメージにはなっていない様で本当に良かったです。

ただ、お酒を飲めなくなって1年くらいした頃に、

気遣ってノンアルコールビールを出してくれたお家がありました。

私がそれを飲んだ瞬間、2人の子供達が走り寄って来て

「ママ!お酒飲んじゃったの!?」と驚いて聞いてきた時に

そこまで心配かけてたなんて…

もう飲まないで欲しいと思ってたんだ…

と、本当に申し訳なく思いました。

「これお酒入ってないんだよ。」と言うと

「な〜んだ。ビックリした〜。

またママお酒飲む様になったのかと思ったから良かった〜。」

と言われ、更に反省…。

もう二度と飲まないから安心して…。

いや、もう体が受け付けなくて飲めないから絶対大丈夫だよ…。

本当にお酒を飲めなくなって良かった…。

神様、お父さん、ありがとう…。

私、少しはこの子達の母親として恥ずかしくないよね…。

 

一度なると二度と治らないと言われる

アルコール依存症の一歩手前までいっていた私が、

なぜか急にお酒を受け付けなくなって救われたお話でした…。





アルコール依存症だった父の最期に、アルコール依存症寸前だった私が思ったこと。

私の父親は昭和3年生まれです。

昭和15年生まれの母とは、年の差婚の再婚で

初婚だった母と結婚した時からすでにアルコール依存症だった様です。

私が幼少の頃には

取手付ボトルに入った大容量のウィスキーが部屋に何本も置かれており、

そのボトルを2日で空ける勢いでした。

 

父は幸い、酔っても大人しいタイプで

暴力や暴言は一切無く、

むしろニコニコしながら泥酔し、前後不覚になる毎日。

朝起きた母が、リビングで倒れている父を怒鳴り、

時には皿を投げつけたり、

食べ残しを父の頭からかけたりという

暴力を振るって起こすという光景が恒例で

幼かった私にとって、酔った父より、

むしろその後、私へも激しく八つ当たりしてくる母が恐ろしかったです。

そんな父の飲酒は年を追うごとに酷くなり、

最後はアルコール性小脳萎縮で半身不随となり、

またアルコール性アルツハイマーも併発し、

79歳で精神病院の鍵付き病棟へ入らざるを得ないことになってしまいました。

幸いなのか、糖尿病を患っていても悪化せず、肝臓も丈夫だった様で

お医者さんにも、

「アルコールで小脳萎縮まで行く前に普通は肝臓がやられてしまうから、

あまり症例としては無いんですよ。」と言われましたが…。

 

父の最期は、精神病院に併設の内科病棟で、

病名は誤嚥性肺炎でした。

精神病院に入院してちょうど1年後のことでした。

どうしてこんなことに…

もっともっと早くにアルコール依存症の治療をしていれば…

いや、その前にお酒は有害だという教育が行き渡っていれば…

男は大酒飲みの方がイキだという時代の弊害なんじゃないか…。

 

父の入院していた精神病院には色んな依存症患者がいて

同部屋には覚醒剤中毒で入院している人もいました。

見舞いの家族など私達くらいのせいか

たいして整頓もされない薄汚れた大部屋の空間で

みんな訳の分からないことをずっと叫んだり、

ボーッと壁に向かってぶつかり続けていたり…。

看護師さん達は防弾ガラスの向こうのナースステーションに入ったきりで

ほぼ無視されて過ごす毎日。

お酒は合法ではありますが、

最終的には違法薬物中毒患者達と同じ部屋で

さながら地獄絵図の中で過ごさなければならない現実がそこにはありました。

 

私が、父が誤嚥性肺炎を発症して入院した内科病棟に泊まり込んだ夜、

隣の部屋に、同じ精神病棟から入院して来ていた年配の男性がいました。

その日、危篤に陥った様で深夜の廊下がバタバタと騒がしくなりました。

お医者さんが駆けつけて来て、看護師さんに

「ご家族に連絡して!最後の面会になるから。」と言う声が聞こえ

看護師さんが「はい!」と走っていきました。

しかし、ややしばらくして戻って来た看護師さんの

「奥さんと息子さんに連絡はついたんですが…

どちらもお見えにならないそうです…。」と言う声が聞こえてきました。

お医者さんは「仕方ない…。」と人工呼吸を行なっている様子です。

そして、しばらくして

「○月○日、○時○分、ご臨終です。」と言うお医者さんの声…。

隣の部屋で偶然にも一部始終を聞いてしまった私は

お医者さんと看護師さんにだけ見送られて

寂しく1人で亡くなっていった男性の人生を考えずにいられませんでした。

あの男性は、きっと、家族にはすごく迷惑をかけて来たんだろうな…

結婚して子供にも恵まれて幸せだった時もあったはずなのに…

どうしてそうなっちゃったのかな…

こんな最期を迎えることが分かってたら

お酒や薬に最初から手を出したかな…。

当時、私自身もアルコールのコントロールが難しくなっていた時だったので

この出来事は心に深く深く刺さりました。

 

この2日後に、父も危篤に陥り、帰らぬ人となりましたが、

むしろホッとした自分がいました。

だって、治って帰るのがあの地獄の精神病棟しか無いなんて

かわいそう過ぎると思ったからです。

当時、私の子供達は2人共幼稚園児で

私が実家に通って面倒を見るとかいうレベルではありませんでした。

母は、大人しいとは言え

毎日毎日、前後不覚になるまで泥酔する父には非常に辛辣で

半身不随でアルツハイマーになった父が精神病院に入院する直前には

母から父への暴力と暴言がエスカレートしていたのです。

 

私にとっての父はとても優しくて、

再婚して晩婚でやっと出来た最初の子の私をいつも可愛がってくれた人でした。

アルコール依存症になる前には優秀だった様で、

当時としては珍しく、地域でも最難関の四年生大学を出ていました。

最初の結婚には失敗して、奥さんに逃げられたと聞きましたが、

そのショックからしばらく引きこもりとなり、一気に大量飲酒が始まり、

アルコール依存症になっていった様でした。

 

父は自営業で飲食店を営んでいたこともあり、

昼から飲酒していても、周りに咎められることは無かった様です。

その環境がますますアルコール依存症を悪化させ、

早期の治療機会を逃したと思います。

また、酔っても大人しく

家族にもニコニコしているだけだったので

母も特に問題意識を持っていませんでした。

ただ、酔ってトイレの場所を間違える、

食べ物の散乱する中で泥酔して爆睡している、

酔っている時の話しは一切覚えていない、

こういったことは母を怒り狂わせ、

父がことに可愛がっていた私に激しく八つ当たりをすることで

父への見せしめにしていたのではないかと思います。

 

こうした要因が重なったことで治療機会を得なかったアルコール依存症の父は

アルコールによってどんどん体と心を蝕まれ、

最後は精神病院に入院してしまいました。

私も父が亡くなった後5年間くらいはお酒を毎日飲んでいたのですが、

不思議なことにある日を境にアルコールが嫌になって一切飲めなくなり、

それ以来、この8年間全く飲んでいません。

あんなひどい依存症患者の最期を見て

お酒は怖いと思っても辞められずにいたのに…

今では、もしかしたら父が助けてくれたのかもしれないと思っています。

アルコール依存症一歩手前だった私が、ある日急に一滴もお酒を飲みたくなくなった話し。

 

あのまま、お酒を飲み続けていたら…

私も最期は精神病院に入院して

危篤になっても夫や子供達にも来てもらえないどころか、

夫や子供達の心にも大きな傷を残して

その後の人生を生きづらくさせていたと思います。

 

お酒は合法で、依存症になる人もいればならない人もいます。

でも、依存症になったら最後、

違法薬物中毒患者と同じ環境で過ごすのです。

ということは、合法か違法かではなく、

お酒も恐ろしい薬物であるということです。

作用は覚醒剤ほど急激ではありませんが、

長年かけて、人の体と心を蝕み、

その周囲の人間にも深い傷を残すのです。

 

テレビでお酒のコマーシャルが流れているのを見ると

どうしてこんな毒物を

「爽快」とか「のどごし!」とか「リラックス」とかいう言葉で

オシャレな若い女性タレントさんや、大人の雰囲気の役者さんに演じさせて、

いかにも「良いものだからみんな飲もう」という風に宣伝するのか疑問に思います。

アルコールは少しならむしろ体に良いとも聞きますが、

少しじゃ抑えられなくなった時、

一気に暴走を始め、その人とその人の周りの人生を奪うのです。

 

私もお酒の美味しさや楽しさは知っています。

でも、今思うと本当に美味しかったのかは疑問です。

むしろ、アルコール臭は不味いと思うのが普通の感覚なのではないでしょうか?

また、酔って楽しいのは相手がどうこうじゃなく、

ただ自分がお酒によって脳のタガが外れている状態で、

普段は抑制されているものが解放されているという楽しさなのです。

お酒に溺れてしまうのには

自分に自信が無いとか、

いたくない環境に我慢していなくてはいけない辛さとか、

それぞれに要因はあると思います。

でも、それは負の感情であることは間違いなく、

アルコールでまやかしの幸せ感を手に入れた様な気になっているのに過ぎないのです。

要は、お酒に騙されている状態です。

どれだけお酒に逃げてすがっても、

最初、楽しい顔を見せてくれたはずのお酒は

最後は私と私の周りの人達を地獄に突き落とすのです。

これは、私がお酒を受け付けなくなってすぐに気付いたことで、

今まであれだけ楽しかったお酒が急に悪魔に見えた瞬間でした。

もう騙されない!

気付けば幼少の頃からずっと私と私の家族を苦しめて来て、

大事なお父さんの人格も体も人生も破壊したお酒…。

今、もしお酒の量をコントロールできなくて苦しんでいる方がいたら

どうかお酒の本当の姿に気付いて欲しいです。

お酒は味方じゃありません。

味方のフリをして入り込んで来る詐欺師です。

自分では辞めることが難しいと思うので、

病院に行って相談して下さい。

お酒なんか飲まない方がずっと自分に自信が持てるし、

周りからも信頼されるし、

周りの人達も自分も楽しませることが出来ます。

 

何より、また今日も飲み過ぎてしまったという劣等感や、

二日酔いの苦しさを家族の前や職場で隠す辛さ、

心配して注意して怒ってくる家族の抱える嫌な気持ち、

そういったこと全てから解放されます。

 

私も未だに、本当にお酒を飲めなくなって良かったと

心の底から思うことが何度もあります。

前の私なら、こういうお酒の席は絶対断らず、

家族との時間よりお酒を飲む時間を優先させてたな、とか

こういったシチュエーションでは昼からでも必ずお酒を飲んで

時間の感覚が分からなくなって帰りが遅くなり、

家族に心配かけてたな、とか

お酒を飲んで気が大きくなって言わなくていいことを言ってたな、とか

こういうところでも当たり前にお酒を飲んで酔っ払い

子供達に心配かけてたな、とか…

数え上げればキリがありませんし、

お酒を飲む人なら思い当たることばかりだと思います。

 

お酒を飲まないことで見えてくるものはたくさんあります。

今後はコロナの影響でオンライン化が進み、

お酒はもう人付き合いの手段では無くなる日も近いでしょう。

私自身、過去を振り返ってみても

お酒の席で得たものは何もありません。

むしろ、嫌な思い出や恥ずかしい失態ばかりです。

 

私の知っている父はいつもお酒に酔っていました。

入院してシラフだった時の父は

いつもよりニコニコもしてなかったし、

いつもより優しくなかったと思います。

もしかして、あの優しかった父の顔は

お酒によって作り出されていただけで

本当の父の素顔は全く違うものだったのかもしれません。

そう考えると

私の育った家族は、お酒によって完全に破壊されていたと言えます。

 

今、私は自分の大事な夫と子供達に、

お酒によって私が経験した、

辛くて怖くて悲しくて寂しくて虚しくて、

お酒を飲む本人からではないけども、

暴力と暴言を受ける理不尽な思い、

不信感でいっぱいな思いをさせないで済んでいるので

本当に良かったと思っています。

 

自分にとって何が一番大切で、

何を一番に優先させなければならないのか…。

お酒は最後に自分を助けてはくれません。

必ず裏切ります。

どうか、お酒の表の顔に騙されないで下さい。

アルコール依存症寸前だった私が、

お酒の本当の怖さを痛感したお話でした…。





2年振りのブログ再開!極端な性格の私が突然更新を投げ出してしまったワケと、再開を決意した理由。

お久しぶりです٩(^‿^)۶

毎日更新を目標に頑張り続けた結果

突然力尽き…

もう2年も放置してしまった当ブログ…(ーー;)

またボチボチ再開していきますので

どうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m

 

さて…

反省の意味を込めて

なぜ、あんなに頑張っていたブログをここまで放置してしまったか

自分なりに分析してみたいと思います( ˘ω˘ )

 

まず、「絶対毎日1,000文字以上で更新!」という

自分で立てた高過ぎる目標に疲れてしまったということが

一番大きかったと思います。

元々極端な性格で、

何においてもゼロか100かという思考をしてしまうタイプなので

今までも、最初過剰に張り切り過ぎて

いきなりブツッと辞めてしまうといったことが多々ありました。

と言って、ユルめにスタートすると最初から続きもしないという…

自分でも困った性分なのであります…(ノ_<)

ただ、一回辞めて再開したことというものは今まで無かったので

こうして2年経ってまた再開しようと思えたのは

自分でも意外なのですが…。

この理由は後ほど説明いたしますね。

 

次に、毎日「ユルメ」という猫のゆるキャライラストを3枚描くのが

結構大変だったということがあります。

これも、最初から1枚とか、絶対3枚!と決めないでおけば

プレッシャーも少なかったと思いますので

反省点です(´-ω-`)

 

あと、ブログ更新を旅行記の途中で辞めてしまっているのですが

毎日、旅行の細部を思い出しながら書くということが

苦しくなったということがあります。

元々ギリギリの気持ちで続けていたところに

この旅行記が一気にモチベーションを下がるきっかけとなってしまい

1日更新を怠ったことで、もう全く更新できないという…

非常に極端な結果を招いてしまったのです(>人<;)

別に1日更新をしなくても

また次の日や3日後だっていいじゃない、と

頭では分かっているのですが

どうにもこうにも私という人間は

一回激しく極端な思考に陥ってしまうと回復できず

結果、全てを投げ出してしまうのです…。

 

そんな私がなぜまたブログを再開しようと思ったかというと…

もう40代半ばを過ぎたというのに全く成長も無く、

またこんなことになって情けない…

ブログ更新を辞めてしまってからも

毎日毎日自分を責めて後ろめたい思いでいっぱいだったからです(TT)

 

ワードプレスの利用料は毎年引き落としされ

更新していないブログならもう完全に辞めた方がいいと

解約も真剣に考えました。

しかし、自分で描いた「ユルメ」のキャラクターや

家族の話しを消してしまうのがどうにも惜しくて

踏ん切りがつきませんでした。

 

また、いっそのこと全てを消して

全く違うブログとして再スタートすることも考えました。

しかし、消す前に最後にもう一回読み直そうと

自分の書いた過去の記事を読んでみると

自分でも忘れていた家族との思い出がたくさん綴ってあったり、

また、自分の率直な

読み返した今でも「そうそう!」と思う気持ちや意見が書かれていたり、

「ユルメ」のイラストがかわいかったり…

「やっぱりこれを全部消してしまうのはもったいない!

旅行記の途中で終わっていて変になってはいるけど

そこは気にしないでまた違う話でもいいから続けてみよう!」

と、思えたのです。

 

また、全く更新していないにも関わらず

毎日何人かの方々にアクセスして頂いていることも

今回ブログを再開する大きな後押しになりました。

ブログを始めた当初はアクセスが伸びず毎日ヤキモキしたものですが

開設してからしばらくはアクセスが伸びないのが当たり前らしく

開設から数年経った当ブログは

丸2年更新が全く無くても一定のアクセスがあるという結果。

「最初にあんなに無理し過ぎなくても良かったのにな〜。」と

今だから思える現象です(´ー`)

 

こういったわけで「一回辞めたことをまた始める」という

自分史上無かったことを

このブログで始めてみようと思います。

ただ、ここで張り切り過ぎると

またいきなりブツッと辞めたくなってしまう自分を分かっていますので

ボチボチ…といった形で

ユルく長く続けていこうと思います。

 

当初、楽しく読んで下さっていたみなさま

突然更新を辞めてしまって本当に申し訳ありませんでしたm(_ _)m

また、更新が無いにも関わらず読んで下さっていたみなさま

本当にありがとうございましたm(_ _)m

では再度、今後もどうぞよろしくお願い致しますヽ(*^ω^*)ノ

中学生と高校生だけでマレーシアに海外旅行!?バックパッカーだった夫の提案は果たして受け入れられたのか?

この春休みに、高1(16歳)の娘と中3(15歳)の息子と私の3人で

マレーシア旅行に行くことになりました。

 

マレーシアのクアラルンプールへは、

北海道の新千歳空港からLCCのエアアジアX直行便が出ており

アクセスが良く価格も安いので

昨年も夫含め、家族4人で行っています。

息子においては、小6の時に夫と2人でも行っているので今回で3回目になります。

しかし、夫が同行しない海外旅行は初めてということもあって、

多少でも勝手の分かっているマレーシアをまた旅行先に選んだのです。

 

実は、この旅行に至るいきさつがありまして…。

4日ほど前、夫が突然

「もう2人とも高校生なんだから、子供だけで海外旅行に行ってごらん。」

と言い出したのです。

「えーーーー子供だけで??」と驚く私に夫は

「こういうことが大人になってからいい経験になって生きてくるんだよ。

かわいい子には旅をさせろ、じゃない?」と言うのです。

しかし…

 

ウチの子供達は小1と小2の頃から毎年、

元バックパッカーの夫が個人手配した海外旅行に家族で出かけていたので、

ある程度旅慣れてはいます。

娘は私立学校で中1から英語の勉強をかなり本格的にやってきたこともあり、

今や日常会話には不自由しないレベル。

学校でニュージーランドに3週間のホームステイに行ったこともあり

この案にはすぐノリノリで大賛成でした。

しかし、息子は公立中学校に通うフツーの中学3年生で

英会話は全くと言っていいほど出来ません。

なので、不安なのか、そう乗り気でも無いようで…。

まあ、当然の反応ですよね…(^_^;)

 

しかし、無類の個人海外旅行好きの夫が

ぜひと言うので、まずは色々調べてみました。

 

LCCのエアアジアXでは、12歳〜16歳未満の子供が1人で搭乗する際には

保護者の同意書に署名が必要で、

飛行機が離陸するまで空港で待機が必要だそうです。

「未満」ということは16歳は含まれておらず、

該当するのは15歳の息子だけになります。

でも、1人だけで搭乗するわけでは無いので、この辺どうなんでしょう?

まあ、どちらにしても飛行機の搭乗は出来ることが分かりました。

 

また、未成年だけの入国に年齢制限を設けている国もある様ですが、

マレーシアは該当していませんでした。

なので、入国も問題なく出来そうです。

 

しかし問題はホテルで、

大抵のホテルはチェックイン年齢を18歳からとしています。

中には16歳からOKというホテルもあるので

娘がチェックインするなら未成年だけでも宿泊可能なのかな?

ネットの情報だと、未成年だけで宿泊の際には

保護者の同意書が必要とのこと。

う〜ん、チェックイン年齢が16歳からのホテルをとれば

同意書を持っていれば行けるのかな…。

 

渡航先をクアラルンプールだけにして

機内泊含めて4泊なら何とか行けそうなのかな…と思ったり、

やはり、もし何かあった時にスマホで連絡は取れるとは言え

子供だけで対処出来るのかなと不安に思ったり…。

マレーシアは治安も良く、基本的には非常に親切な人達ですが

中には悪い人もいると思うのです。

子供だけで宿泊していると聞いて、

多分、親切に対応してくれるはずだとは思いますが、

もしかしたら良からぬことを考える人もいるかもしれないなぁ…

と不安に思ったり…。

 

そして、何より

子供自身が、1人で行ってみたいと言い出したわけでは無いという点が

引っかかっていました。

もっと、18歳とかになって

自分で行きたいと言い出してから行かせても遅くないんじゃないかな…?

 

夫自身も高校年生の時に、アメリカに

2歳年上の男の子のいとことホームステイをしたことがあるそうです。

しかし、16歳で18歳のいとこと一緒。

さらに、ホストファミリーという受け入れ先があっての

未成年海外旅行なら何ら問題は無いと思います。

でも、15歳と16歳の姉弟で完全に個人旅行…。

厳密には息子は3月では中学生であり、高校生ではありません。

 

行かせようかどうしようか散々迷っていた時に、

昨日、爆弾低気圧が北海道を襲いました。

テレビに流れる相次ぐJRや飛行機の欠航…。

そう…

基本的には何も無いと思うけど、もし万が一こんなことになったら

子供達だけでどう対処出来るのでしょう。

今まで何回も海外旅行に行っていますが

飛行機が欠航してしまったことが1回だけありました。

オランダの空港に着いてチェックインしようと思ったら

異常に混んでいて進まない列…。

おかしいと思って、やっと案内画面に

「cancelled 」と出ているのに気が付きました。

みんな、振替便の手配で大混雑していたのです。

その時は夫がいたので、英語で交渉してもらって

すぐに振替便が手配出来ましたが、

混んでいたせいかチケットの発券に手違いがあって

搭乗口で「乗せられない」と言われ離陸直前まで随分揉め、

本当にヒヤヒヤものでした(;´Д`A

また、預けた荷物も新千歳空港まで届いておらず、

空港の方に話しをして後日自宅まで送ってもらえましたが、

本当に届くまで不安でした。

 

こういったことも含めて、旅の醍醐味だとは思いますが

子供達だけでトラブルが起こっても“醍醐味”と言えるのか?

親としての保護責任が果たせていないのではないか?

夫は「大人がついて行くなら

いつもの家族旅行と変わらないから意味が無い。」と言っていましたが、

もし、私だけが同行するなら、夫がいない緊張感は

子供達も間違いなく感じるでしょう。

だって…

私は英語が全然話せないのです(^◇^;)

しかも、忘れ物、間違いが多く

今まで子供達にも何度も心配をかけているのですから…。

 

それでも夫は経験を重視して子供達だけで行かせたいのかな…。

そう思っていたら、夫もやはり爆弾低気圧の飛行機への影響を見たせいか

「やっぱり俺も急に不安になってきた…。ママも一緒に行って来たら?」と

言ってくれたのです!!

やはり夫も、不安を感じても、あえて心を鬼にしての提案だったのですね。

でも土壇場で踏みとどまってくれて良かった!

 

子供達に「やっぱりママも一緒に行くことにしたよ!」

と喜んで伝えると、2人とも意外と反応うす…。

娘は「2人でも大丈夫だと思ってたけど、

ママも行くなら保護者という意味で、より安心かな。

やっぱり現金で大金は持って行けないから、

もし飛行機の取り直しとかになった時にどうしようかなとは思ってた。

でもママ英語も全然出来ないし、逆に私に頼る気でしょ!」と鋭いご意見(^^;)

息子は「2人でも行けなくはないと思ってたけど、

お姉ちゃんワガママだから、旅行中も買い物ばっかりとか

振り回されそうで嫌だなと思ってた。

だからママが行くなら3人になるからその方がいいかな…。」という

消極的なご意見(・・;)

 

子供達、本当に成長したんだな〜とこの時点で痛感しました(T-T)

私のイメージでは

娘→「わーい!やったー!ママも一緒に行こう!」と大はしゃぎ。

息子→静かにニコッとしながら「…うん。いいよ。」と一言。

いやいや、予想と全然違う反応に驚きましたよ(´・Д・)」

すでに2人だけで行くもんだと思っていたので

「ママも来るの?」的な、ちょっと残念な感じもあって、

この時点で夫の思う目的は多少でも果たせていたのかもしれませんね。

 

とにもかくにも、まだ飛行機のチケットとホテルを抑えただけで

ノープランのマレーシア旅行。

まずは、3日後の息子の公立高校の受験が大事だというのに(^^;;

遊びの話しで気をそらせてばっかりでいけませんね。

 

私が知っている、オリンピックを目指していたけど挫折してしまった人達の話し。

平昌オリンピックの男子フィギュアスケートで

羽生結弦選手が金メダル、

宇野昌磨選手が銀メダルを獲得しましたね!

両者とも、ここまで来る道のりは

どれほど長く苦しかったことでしょう…。

オリンピックを目指して長い期間練習に励んでも、

途中で挫折してしまう人の方が圧倒的に多いと思います。

私が小中学生だった頃にも、そんな子達がいました…。

 

私が小学生だった時、一つ下の学年で

スキージャンプをやっている男の子がいました。

その子は、北海道の真冬、気温−10℃などの日でも

毎日ランニングシャツに短パン姿で登校していて、

学校でも超有名人でした。

いつも真っ黒に日焼けした顔にスポーツ刈り。

“ザ・男”といった感じで、

毎日スキージャンプの練習に励んでいた様です。

中学に進学した際には、さすがに制服姿で登校しておりましたが

初めて彼の制服姿を見た時には

「長袖、長ズボン着るんだ…。」と驚いたくらいです(^^;)

中学時代も各種スキージャンプの大会に参加していた様ですが、

成績は今ひとつとの話で、全国大会にまでこぎつけられず、

結局、高校入学とともに辞めてしまったと聞きました。

彼のお母さんと私の母は時々会えば話す仲で、

色々聞いたところによると…

小学校時代のランニングシャツと短パン登校は

お父さんが体を鍛えさせるためと強制していたもので、

本人は非常に嫌がっていたそうです。

そして、高校もスポーツに力を入れている私立高校への進学を

お父さんは強力に勧めたそうですが、

本人が絶対に嫌だと拒否して

結局スキージャンプ自体辞めることになってしまったとのこと。

将来はオリンピック選手にしたいと

彼が幼い頃から一生懸命にサポートしていたお父さんは

非常に非常にガッカリしたそうですが、

年齢的にも、もう強制することが出来なくなったと…。

いやいや…

これを聞いて本当に彼がかわいそうになりました…(◞‸◟)

お父さん…

息子に期待したい気持ち、本当によく分かりますが…(-_-;)

親のサポートなくして

オリンピック選手になることは難しいと思いますが

どこまでがサポートで、どこからが強要なのか…

子育てに共通する悩みだな〜と

今、自分が子供を持つ身になって改めて考えてしまいます。

その後、彼は勉強があまり得意ではなかったこともあり

大学には進学しなかったと聞きましたが、

早いうちに別の道を模索出来たことは

彼にとっても良かったのではないでしょうか。

 

中学時代には三姉妹でスキーのアルペン競技をやっている子がいました。

三姉妹の真ん中の子と同級生だったのですが、

この子は、冬は全国大会にも出場するレベルで

夏もカナダに遠征して競技の練習に励んでいました。

なので、春と秋は普通に学校に来ますが、

夏と冬は長期で欠席していました。

彼女は、スキー焼けとトレーニング焼けで

年中真っ黒に日焼けしていたのですが

それをすごく気にしていて、普段は日焼け止めを大量に塗って

日陰しか歩かないなど、少しでも日に焼かない努力をしていました。

そして、「スキーが嫌いだ」といつも言っていました。

スキーのせいで日焼けする、みんなと遊べない、

勉強にもついていけない、姉妹で比べられる…。

でも、とにかくお父さんが怖くてスキーを辞めさせてくれないんだとも…。

彼女は中学卒業後、

札幌でも有名な、スポーツに力を入れている私立高校に

スキーの推薦で進学しました。

高校では授業は午前中だけで、午後はびっしりトレーニングだそうで

スポーツ推薦者はどの部活もそうだと言っていました。

そして、大学もスキーの推薦で東京の大学に進学しました。

オリンピックを目指して三姉妹でスキーアルペン競技を

幼い頃から続けて来た彼女でしたが夢叶わず…

結局、大学卒業とともにスキー競技から引退したそうです。

その後、一度は東京で就職したものの

数年で辞めて札幌に戻って来ました。

32歳頃に再会した時の彼女曰く

「スキーなんて昔から大っ嫌いだった。

もう二度と滑りたくない。

姉妹もみんな父さんが怖くてやらされてたけど

今はもうジジイだから言うこと聞かなくていいんだ。

でも、スキー辞めたら他に何もしてこなかったから

全然やること無いんだよね〜。」と…。

彼女のスキーの腕前は

全国大会に出場するレベルでしたので

北海道内でも相当なものだったと思います。

色々なことを犠牲にして長年頑張ってきて

そこまで上手になってもスキーが大っ嫌いって…

そのくらい辛い年月だったのでしょうね(;_;)

彼女はその後数年間

実家暮らしでアルバイト生活を送っていましたが

今は結婚して主婦業に励んでいる様です。

ちなみに、彼女のお姉さんは

スキーしかしない生き方は嫌だと公立高校に進学して

早々とスキーは引退したそうです。

妹さんは姉妹の中で一番スキーの成績が良く

高校も彼女と同じ私立高校に進学、

大学もスキーの推薦で進学したそうですが、

やはりもう引退していてスキーは嫌いだそうです(ー ー;)

 

オリンピックに行ける人は

本当に本当に一握りです。

その影では、たくさんの選手たちがしのぎを削って努力していますが

夢叶わなかった時にどうするか…

難しい問題ですね( ˘ω˘ )

私なんて、そこまで努力したことも無い人間なので

偉そうなことは何も言えませんが

子供にそこまで強制してでも何かをやらせるという

親御さんの情熱は本当にすごいものだと思います。

一度はスキーが嫌いになって

スキージャンプを辞めた彼も、スキーアルペンを辞めた彼女も、

もっと歳を取ったり、自身が子供を持ったりして

またスキーが懐かしくなる日が来るんじゃないかな…。

そこまでの技術を身につけた努力の経験は

きっと今後の人生でも彼らを支えてくれるはずですから

親御さんの苦労も決して無駄では無かったと思うのですが…。

 

平昌オリンピックに出場した選手達を見ると

本人のものすごい努力と、それをサポートし続けた周りの人達の努力を感じます。

その中で、さらにメダルを獲るまで活躍するということは

本当に奇跡に近いことだと思います。

メダリスト達が口々に

「周りのサポートのおかげです」、

「応援してくれたみなさんのおかげです」というのも

こういった陰の功労者の方々への感謝からなんですね(´-`).。oO

 

平昌オリンピックも残すところあと1週間。

表舞台に立つ人も、そのサポートに奔走する人も、

また、表舞台に立てなかった人達とそのサポートをし続けている人達も

みなさん本当に様々なドラマがあることでしょう。

だからこそ、メダルを獲得した喜びはひとしおで

私の様にテレビの前で観ているだけの者でもσ(^_^;)

感動を分けてもらえるのですね。゚(゚´ω`゚)゚。

 

AI化が進んだ世の中について考えてみました。子供にはどんな力をつけさせたらいいの?

今朝テレビで、1月11日に発売された人工知能搭載の犬型ロボット

「aibo」を観ました。

ちなみに大文字の「AIBO」は

1999年から2006年まで販売されていた犬型ロボットを指す様で、

今販売されている犬型ロボットは小文字表記の「aibo」なんですね(ᵔᴥᵔ)

 

この新型「aibo」は本体価格が198,000円の他、

「aibo」が成長するためのケアサポート代が3年間必須加入で90,000円と、

税込で総額が311,040円にもなりますが、

発売から40分で完売したというので驚きです。

 

旧型「AIBO」との一番の違いは、

飼い主によって様々な形に「成長」するという人工知能の搭載でしょう。

かつて、「AIBO」以外にも

「ファービー」や「プリモプエル」など(←懐かし〜(๑˃̵ᴗ˂̵))

人間と会話できるという人形が流行った時代がありましたが

それらは単にいくつかの単語をインプットしていただけで、

「おはよう」とか「眠い」とか、

単純な言語の繰り返しにすぎませんでした。

しかし、「aibo」は本物の犬の様に、

飼い主の接し方に応じて様々な形に「成長」するので

同じ「aibo」を買っても、数年後には全く違う「aibo」になるんですね。

 

そしてまた、動きも本物の犬にそっくりでかわいいんです!

こりゃあ、もうペット産業も衰退するな…と思わずにいられませんでした。

だって、本物の犬は、散歩もしなきゃいけないし、

エサもあげなきゃいけない、フンもする、病気もする、

しつけに失敗したら大変、吠える、そして寿命が人間より大分短い…

と、ネガティブ要素も多いからです。

まあ、それも含めてかわいいと言えるのかもしれませんが、

大概はペットを飼う目的の、

かわいさや癒しを与えてくれるという存在が欲しいなら

手間いらずの方がいいと思うのではないでしょうか。

 

その後、コピーライターやアナウンサーを務めるAIも紹介されましたが、

どれも、人間よりものすごい速さでたくさんの物事を習得し、

間違わず、疲れず、コストもかからない…。

これは、確実に人間はAIに職業を奪われていくなと感じました。

 

じゃあ、AIに取って代わられない職業って何でしょう…?

私も、今、中学生や高校生の子供達が

数年後につく職業について色々と考えますが、

AIの普及していく世の中で、何がこれから発展産業なのか

さっぱり分からないというのが本音です。

 

昨年、大学の説明会に出向いた時、

どこの大学も、盛んに銀行や証券会社など、

金融関係に多くの学生を就職させていることを得意げに語っておられました。

しかし、私は「金融はこれから一番AIに置き換わって衰退していく産業なのに、

どうしてそこに20代の若者を就職させたがる?」と

すごく不思議に思って聞いていました。

そして、今年になってメガバンクの大量リストラの発表。

やっぱりな…です。

 

私の親の時代、金融関係は就職するには最高の職業だったと思います。

私が就職活動をした24年前も、とにかく金融関係は大人気の職業でした。

しかし、かつては石炭業だ造船業だと、

隆盛時代を迎えた産業が次々と時代と共に消えていきました。

これは、誰にも止められない時代の流れだったと思います。

だって、人間は、楽で低コストな方に流れるに決まっているんですから。

 

AI化によって衰退する産業は金融だけでは無いと思います。

会計士や税理士、弁護士、裁判官、役所、政治家…。

こういった、かつての例を参考にしたり、

決まったことを行うことで成り立っている様な職業は

軒並みAI化されてしまうでしょう。

今日、テレビで観たアナウンサーも、

確かに、決まった原稿を読んでいるだけですもんね(・・;)

 

でも、コピーライターの様な、人間が創造する職業は

今後も残っていくと思っていたので、

すでにAIに置き換わりつつあるということに驚きました。

でも、よくよく考えてみたら

“創造”というものも、先人の知恵の集大成なのかもしれません…。

芸術家はたくさんの作品を観たり聞いたりして感性を養うと言いますが、

それってやっぱりどこか、ちょっとずつマネというか、組み合わせというか…

完全なるオリジナルなんてものは世の中に存在しないのかもしれません。

 

そうなると、小説家や画家、作曲家などの

クリエイティブと呼ばれる職業も

いずれはAI化されてしまうのでしょうか。

 

本当に最後に残るのは、

スポーツ選手とか俳優とかの

人間の体を使って行うことに醍醐味がある

エンターテイメントな職業でしょうか。

これは、AI化されても

観ていてつまらないと感じてしまうものだと思うので、

残るのかな…。

そうなると、これに付随した

スポーツインストラクターや俳優養成所は残るのかな…。

場所を提供する側の不動産関係も残るのかも…。

 

これは私の勝手な推測に過ぎませんが、

とにかく今ある世の中のほとんどの職業は

きっと無くなってしまいますね。

今の私には想像もつかない職業が生まれていくことでしょうが、

子供達にはどんな道を進ませたらいいのでしょうか…。

 

とにかく、暗記だけしている勉強は

AIにことごとく取って代わられる代表なので

全く無意味になるでしょう。

思うに、人を楽しませられる、幸せに出来る力、

(それだってAIが得意なことなのかもしれませんが)

そのくらいしか人間には求められなくなるのかもしれません。

 

お金も無くなるかもしれませんね。

だって、AI化で色んなことが低コストで出来るようになったら、

家も、食べ物も、教育も、医療も、

みんな無料で使える様になって、

使うお金はどんどん減って最後はいらなくなっちゃう。

そんな世の中になるんじゃないかと思います。

 

今は、その過渡期で、

一番変化が激しくて大変な時代かもしれません。

そういう時に一番大切なのは“柔軟性”じゃないでしょうか。

時代の変化につまづいて失敗しても、

また起き上がれるマインド。

子供達にはこの“柔軟性”を一番身につけてもらいたいと思っています。

そのためには、色んな経験をさせて

たくさん失敗して成功して…。

そして、どうやって目標を達成したらいいか考えて、

その目標を達成出来なかった時は、次はどう進むか考えて、

とにかく最後まで生き抜くという力。

そして、人生の最期に

「生まれてきて良かった」と思える人生を歩んで欲しいです。

 

世の中がAI化されていく中で、

学校の教育はどうしても時代遅れになってしまいますね。

そのうち先生もAIになって、

いつも最新の教育を受けられる様になるのでしょうが、

しばらくは、AIと人間のせめぎ合いで

なかなか変化は起きなさそうです。

「受験」なんてものも、

何かを習得するという経験としての意味はあるかもしれませんが、

単なる暗記に意味は無いですね。

そのうち先生もAI化されると、

学びたい人が学びたい学校を選んで、

誰もが自宅にいながらオンラインで教育を受けられる時代になるでしょうから、

学校の定員も無くなり、「受験」というシステムも無くなるでしょう。

そうなると、今の中学校の内申点とかランクも無くなるから、

子供はもっと伸び伸びと子供らしく過ごせる期間が延びますね。

 

しかし、こうやって色々考えてみると、

AI化が究極に進んだ世の中に

そもそも人間って必要なんでしょうかね…(ᵔᴥᵔ)?

 

子供へのおこづかいっていくらあげてる?周りにリサーチしてみました!

ウチでは高1の娘に毎月3,500円のおこづかいをあげています。

この他に4ヶ月前から別枠で、労働対価として毎月2,500円あげているので、

今は合計すると毎月6,000円のおこづかいになっています。

ちなみに、労働対価分はやらなかった月には当たりません。

労働の中身はちょっとした場所のお掃除なのですが、

今のところ娘にしてはかなり真面目に取り組んでいて

休まず2,500円もらっています(⌒-⌒; )

 

ウチでは子供達へのおこづかいは小学校入学時からあげ始め、

1年生100円から始まって6年生で600円。

中1で1,000円、中2で1,500円、中3で2,000円でした。

 

周りの人に聞くと、

まず、おこづかいをあげている家とあげていない家に分かれます。

おこづかいをあげていない家では、

欲しいものや使う目的があった場合は親に相談して、

認められればその都度もらえるパターンと、

お年玉で年間のおこづかい全てをまかなっているパターンに

分かれていました。

 

また、おこづかいをあげている家では、

高1で3,000円〜5,000円くらいの場合は、洋服や学用品は親持ちで買い与え、

10,000円以上もらっている場合は、

洋服なども全ておこづかいの中でやりくりさせている様です。

中には、テストの点数で臨時おこづかいをあげているお家もありました。

 

ちなみに、私自身は高校生の頃は5,000円のおこづかいでした。

洋服などは親が買ってくれていたので、

自分では雑誌やCD、雑貨を買ったり、友達と出掛けるのに使っていました。

 

娘は、友達と昼を食べたり映画に行ったり、

雑貨や化粧品、アクセサリーなどを買っている様です。

今はスマホがあるので、あえて雑誌やCDは買わなくても

済んでいるようですし、

100円ショップがあるので昔より経済的ですね(´ω`)

 

娘の高校には寄宿舎がついているのですが、

ここに寄宿している子達は

生活費も含めて毎月親から30,000円くらいもらっている様です。

寄宿舎で1日三食の食事は出るので、

生活費としては、シャンプー、洗剤、ティッシュなどの消耗品と、

お菓子を買ったり、友達と遊びに行ったりする分も

全部含まれているそうですが、結構余りそうですよね(・・;)

中には、アイドルグッズを大量に買っていたり、

いきなり30,000円くらいするブランドのカバンを買って

お金が足りなくなって友達に借りたりなど、

お金の使い方が分からないでいる子もいるそうで、

親の目の届かない子供に大金を渡す難しさを感じます(´・ω・`)

離れているからこそ、子供が不自由しない様にと

多めにお金を渡したい親御さんの気持ちもよ〜く分かりますしね(>_<)

 

子供へのおこづかいって本当に難しいですね。

あげるべきか、あげないべきか。

あげるとしたら何歳でいくらくらいなのか?

 

自分でお金の管理をする習慣を身につけさせるために、

おこづかいをあげた方がいいとは思っても、

何もしないのに毎月当たり前に定額が入って、

それが年々上がっていくという仕組みって

子供にとって良い影響を与えてないんじゃないの?

それに、おこづかいだから何に使ってもいいでしょっていう態度は

どうなの?

かと言って完全に労働対価にしてしまったら、

当たり前にやらなければいけないはずの

家のお手伝いもお金をもらわなきゃやらないってなっちゃうの?

などなど…

おこづかいの悩みは尽きません(ーー;)

 

ウチは元々、毎月定額のおこづかいをあげていて、

年齢が上がると自動的に増額していました。

たまたま、昨年から子供達にも頼めるお掃除の仕事が

発生したので、それを労働対価分としてプラスしていますが、

これが正しいのかも分かりません(´-ω-`)

 

子供の金銭感覚がズレないで、

大人になって自分で収入と支出を

ちゃんとコントロール出来る人になって欲しい…。

望みはそれだけなんですけどね(*´ω`*)

 

今年も今日で終わりですね。この1年を振り返ってみました。

今日で2017年、平成29年も終わりますね(´ω`)

今年はどんな年だったか振り返ってみると…

 

まず一番大きかったのが、息子が受験生になったことです。

中学校の、無意味にやり過ぎなブラック部活の引退にはホッとしましたが、

その後は塾に通い続ける日々で、

息子もすっかり忙しいお兄さんになったもんだと思います(´-`).。oO

来年はいよいよ受験本番なので、

体調管理に気を付けて、悔いの無いよう勉強に励んでもらいたいです。

 

高校1年の娘は、手の指の骨折はあったものの無事に治り、

勉強、友人関係共におおむね順調で、相変わらずおしゃべりで元気な頑張り屋(^^)

最近ではオシャレに邁進している姿が

すっかり大人っぽくなったもんだと思いますが、

何事もほとんど心配の無い状態だったので、

来年もこのまま楽しく過ごしてもらえればと思っています(o^^o)

 

夫は、仕事や趣味に忙しい人ですが、

体調も崩さず、家族のために本当に一生懸命働いてくれて、

感謝感謝の一言です。

特に今年は忙しい中、息子の塾の懇談にまで出向いて、

息子に「今〇〇ちゃんは受験勉強を通して“学び方”を学んでいるんだよ。

将来仕事をした時に新しく覚えなきゃいけないことなんかが出てくるけど、

自分なりの物事の習得方法を身に付けておくと、

何でも諦めないで取り組める様になるから。

自分で、努力してやり遂げられたっていう経験が自信に繋がって、

それが生きる上で、ずっと〇〇ちゃんを助けてくれる。

人間の能力に差なんて無いんだ。

セーノでみんなと一緒に同じことが出来なくたっていい。

最後まで諦めなかった人が成功出来るんだから、時間がかかっても

やり続けられる忍耐力を身に付けてね。」というアドバイスをしていて、

「私も子供の頃に親からこう言ってもらえてたら、

人生も変わってたかもしれないな…。」と涙が出そうになりました( ; ; )

ウチの子供達はこんな父親がいて幸せだな〜。

そして、こんな価値観の息子を育てた夫のご両親にも本当に感謝です(*´ω`*)

 

最後に、私はと言えば…

仕事も家庭も趣味も色々ありましたが、

基本的には大きな変化も無く、年々マンネリの中…(^-^;

今年は、思い切ってこのブログを始められたことが一番大きな出来事でした。

こうして、毎日ブログを続けるのは正直しんどい時もありますが、

先の夫のアドバイスを受けて(私にじゃないケド(^^;;)、

忍耐力を持って続けています٩( ‘ω’ )و

 

最初は、過去にすでにやったこともあって

簡単に開設出来る無料ブログを考えていましたが、

この先続けて行くなら自由に運営出来る自分のドメインを持つ方が良いと知り、

難しそうで面倒そうだからと敬遠していた

ワードプレスやレンタルサーバーにも初めて挑戦してみました。

先の息子への夫の言葉が、

40代になった私にも勇気を与えてくれたと思います(*´ω`*)

 

そして、やはり自分のドメインを持つと愛着は湧きますね。

持ち家か賃貸住宅かの違いに似ているかもしれません。

まだまだ始めたばかりですが、これからも続けて参りますので

来年もどうぞよろしくお願いします*\(^o^)/*

 

では、みなさま良いお年をお迎え下さいませ〜m(_ _)m

 

 

 

中学時代の同級生の女の子が性同一性障害だった!40歳過ぎにしてカミングアウトして男として生きることに…。

年賀状を書かなければいけない時期になってきましたね(´ω`)

学生時代のもう卒業以来会っていない人とか、前の職場の人とか…

年賀状だけの付き合いの人って

今さら出さないわけにもいかなくて困りますよね〜(⌒-⌒; )

…と、毎年思っていた私ですが、数年前に届いた中学時代の同級生からの年賀状に

やり取りしていて良かったな〜と思ったことがありました。

 

その同級生はAちゃんという女の子で、当時仲良くしていた子です。

すごくボーイッシュで話しも面白くて大好きだったのですが

卒業後は一度会ったきり、年賀状だけの付き合いになっていました。

そのAちゃんから来た年賀状に印刷文字で目を疑う内容が書いてあったのです(@_@)

 

「あけましておめでとうございます。

突然ではありますが、昨年手術をして男性になりました。

今は理解あるパートナーと幸せに暮らしています。

性を変えたことで名前も変えましたが、

これからも変わらぬお付き合いの程をよろしくお願いいたします。」

 

えーーーー!!!!!((((;゚Д゚)))))))

男になったってーーーーー???

…………

確かに思い当たるフシがたくさんあります。

 

Aちゃんはガリガリなくらいに痩せていて、いつも日に焼けて真っ黒。

ショートカットの髪を軽く立てて、太い黒ブチのメガネをかけていた

その外見はほとんど男の子でした。

 

そして、制服のスカートをすごく嫌がってました。

「小学生の頃までズボンしかはいたことなかったのに

中学入ったら制服で絶対スカートはかなきゃいけなくなって嫌なんだよね。

何で女子だからってスカートはかなきゃいけないんだろうね。」と言うAちゃんに

「何でそんなにスカート嫌いなの?」と聞くと

「だって私に似合わないよ。気持ち悪いじゃん。」って言ってたっけ…。

 

また、休みの日に一緒に遊びに出掛けた時も

Aちゃんは黒いシャツにネクタイをしてズボンをはいていました。

スカート姿の私を見るとAちゃんは

「そんな格好、うちの親が見たら泣いて喜ぶよ。

いつも、もっと女の子らしくしろって言われてんだ。」と言っていました。

この時、一緒に歩いていた私とAちゃんを偶然見た父が

私が男の子と歩いていると勘違いして心配したくらい

Aちゃんは男の子にしか見えませんでした。

 

また、Aちゃんは猫背がすごくて、背中に矯正バンドを着けていたのですが

今思えば、胸のふくらみが嫌で隠す様な姿勢になっていたんだと思います。

 

社会人になって一度会った時のAちゃんは

ショートカットはそのままでしたが、スーツのスカートをはいて

濃いめの化粧でタバコをスパスパ吸う姿に変わっていて驚いたものです。

「スカートなんてはいてんだ。」と聞くと

「上司がうるさいんだよ。化粧もさー、ちゃんとしろってうるさいから

毎日ちゃんとやってるよ。」と、またタバコ…。

当時は、Aちゃん変わったな〜と違和感を感じましたが

今思えば、ヤケクソだったんだと思います(◞‸◟)

 

Aちゃんは、やっぱり女じゃなくて男だったんだ…( ˙-˙ )

それなのに、周りから女らしくしろってずっとずっと言われ続けて

ずっとずっと辛かったろうな…。

40歳を過ぎて、やっと男として生きれる様になって良かったね。

でも私にとって、Aちゃんは男でも女でもAちゃんであることに変わりないから

性別って大した問題じゃないんだな〜と思わずにいられません。

テレビではよくオネエタレントの方々を見かけるし、

性同一性障害の方がいるということも知っていました。

でも、どこか遠い存在に感じていたのが

いざ自分の同級生が性同一性障害だと知ると、

本当にそういう障害は周りからの重圧との闘いの連続なんだと痛感します。

 

男らしく、女らしく…。

無意識のうちに押し付けて、本人の苦しみになんて誰も気付かない…。

本人だって、子供のうちは違和感としてしか受け止めておらず

まさか、自分の性が本当は違うなんて

あの頃のAちゃんも気付いていなかったんじゃないかな…。

 

でも、男だろうと女だろうと

その人であることは何も変わりません。

今、Aちゃんのことを理解して一緒にいてくれるパートナーの方も

Aちゃんの人間性に惹かれたんだよね。

分かるよ、だってAちゃんはすごく面白くて優しい人だもんね!

 

印刷屋さんも驚いたであろう、あの年のAちゃんの年賀状。

新年に男であることをカミングアウトして、

新たな気持ちで人生を歩み直していく決意だったんだろうな…。

 

Aちゃん、お幸せにね!

いつか、また会いたいな〜(´-`).。oO