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実録!精神病院『鍵付き病棟』で見た恐怖の実態と、アルコール依存性の父の最期。

私の父はアルコール依存症で

79歳の時、とある精神病院の鍵付き病棟へ入院しました。

すでに高齢で、長年のアルコール大量摂取による脳の萎縮から、

アルツハイマー病と半身不随、更に糖尿病も患っていた父は

いわゆる断酒のプログラムをこなすなどといった療法の対象外で、

自宅にも置いておけず、

高齢者施設でも預かってもらえず、

仕方なく精神病院へ入院させる以外どうしようもなくなっていたのです。

 

精神病院というと、

ましてや鍵付き病棟というと、

狂った患者が日夜叫んでいたり、徘徊していて

さながらバイオハザードの様な異様な光景が

繰り広げられているといったイメージだったのですが…

まさにイメージそのもので心底驚きました…。

 

まず、入院初日。

看護師さんに案内された部屋は男性だけの4人部屋。

入った途端、床にトイレットペーパーが散乱していて、

仕切りもなく剥き出しのまま置かれたポータブルトイレが

部屋の真ん中にあって共同で使うという

かなり衝撃の光景でした。

 

入院の準備をしていると

向かいのベッドの30代くらいの男性が声をかけてきました。

「ねえ、どうしてここ来ちゃったの?」

ちょっとオネエ口調でニコニコした男性。

「アルコール依存症で…。」と返事をすると

「そう。

僕はね、覚醒剤。

幻覚見て窓から飛び降りちゃって足の骨折っちゃったから

しばらく整形外科に行ってたんだけど今日戻って来たの。

これからよろしくね。」

∑(゚Д゚)

今「覚醒剤」って言ったよね…?

犯罪者じゃないですか!!

そんな人と同部屋!?

同じ依存症とは言え…ちょっと…

父はアルコールなんで犯罪者ではないんだけど…

でも、結局最後は同じってことなのか…と

ものすごくショックでした。

ていうか、覚醒剤使用者って初めて会ったよな…。

 

男性の枕元には家族と写したと思われる写真が置かれていました。

多分、この人のお母さんと兄弟…。

どうして覚醒剤になんかに手を出して、

この若さで精神病院に入院しなくちゃいけなくなっちゃったんだろう…。

なんか…怖いというより哀れで、気の毒で…。

どんな家庭環境だったのかは分かりませんが

家族の写真を飾っているということは

今でもこの人の一番の心の拠り所なんだと思いました…。

 

そして、食事を摂る大部屋に移動すると

そこはまさにバイオハザードの世界…。

 

「バカヤロー!!バカヤロー!!

やんのかテメエ!!コノヤロー!!」とか、

「ご飯だよ〜!!○ちゃんご飯出来たよ〜!!」

など、大声で叫び続ける年配の男女数人が車椅子に座ったまま

壁際に並んでいます。

 

方や、目が見えないのか無表情で真っすぐにこちらに向かって突進してくる

ガリガリに痩せた60代くらいの男性がいて、

急いで避けると、男性はそのまま壁にぶつかり、

ぶつかった壁に向かってずっと足踏みをし続けています。

 

また、防弾ガラスの向こうのナースステーションに向かって

「すみませ〜ん、すみませ〜ん。」と

ずーっと弱々しくガラスを叩き続けている男性もいます。

 

ガリガリに痩せて白髪でバサバサのオカッパ頭の

でも、顔は40代くらいの女性は、

ヨダレと尿を垂らしたまま歩いていました。

お父さん、これから毎日こんな所で1人で過ごすんだ…。

かわいそう過ぎる…。

でも、家に連れて帰るわけにはいかないんだから…。

仕方ない…。

 

食事を終えて大部屋に戻ると

さっそく父のカーディガンとメガネが無くなっていました。

探すと隣のベッドに置いてあり、

多分、隣のベッドの人が自分の物と分からずに持って行った様でした。

隣の人って誰なんだろうと思っていたら、

戻って来たのは

さっき、壁に向かってずっと足踏みをしていたあの男性でした。

 

母がすかさず男性に

「このカーディガンとメガネ、うちのだからね。」と言うと

また男性は無表情でこちらへ真っすぐに突進してぶつかって来ました。

そして、ブツブツ独り言を言っているのです。

すると、向かいのベッドの覚醒剤のお兄さんが

「その人、目も見えてないけど耳も聞こえてないみたい。

前からずっとそうだから、何言ってもムダよ。

ここでは持ち物なんてすぐ無くなっちゃうんだから、気をつけて。」

と教えてくれました。

…ここで一番まともなのは、この覚醒剤のお兄さんという現実…。

 

すると、アルツハイマーで

すっかり普通の会話が難しくなっていたはずの父が突然

「ここはキチガイばっかりだから、アンタ達、もう帰んなさい。」

と言ったのです。

すっかりボケてしまっていたと思っていたのに

父はちゃんと分かってたんだ…。

だったら、だったら、

本当に気の毒でかわいそうだよ…(;ω;)

 

この後、週に一回のペースで

母と、当時幼稚園児だった子供達と一緒に父の元に通いました。

本当は子供達を連れて行く様な場所ではなかったと思いますが、

どうしても父がかわいそうで…

当時の私にできるせめてもの親孝行だったのです…。

 

しかし、いつ行っても私達以外の面会者はいませんでした。

看護師さん達も、家族が来ないのが当たり前の様で

私達が行くと若干迷惑そうな雰囲気すら醸し出していました。

 

そして、ある日面会に行くと

父はベッドに腰と腕を拘束され、

ナースコールも押せない様にガムテープで天井の辺りに固定されていたのです。

驚いて看護師さんに聞くと、

父は夜中に何度もナースコールを押し続け、

何度もトイレに行きたがるそうで、

オムツを履かせてもとにかくトイレ、トイレと

騒ぐのでどうしようもなかったとか…。

ナースコールを押せない様に固定したら

今度は壁を叩き続けて「すみませ〜ん、すみませ〜ん」

と呼び続けるとかで、

やむを得なく腕も固定せざるを得なかったということでした。

確かに、これは自宅でもやっていたことで

身長170cm体重70Kgの半身不随の父を

トイレに連れて行くのは本当に至難の技でした。

しかも、5分おきにトイレに行きたがるので

もう自宅でも面倒を見るのは限界だったのです。

 

これを境に、

父はいつ行っても朦朧とした様子になり、

看護師さんに聞くと

鎮静剤を投与しているとのことでした。

要するに、うるさいから薬で大人しくさせているのです。

でも、自宅に連れて帰れない以上文句も言えませんでした。

 

そして、ある日の父は、目の周りがマンガで見るみたいに

真っ黒に丸くアザになっていたのです。

明らかに誰かに殴られた様でした。

しかし、看護師さんは誰も知らないという一点張りで、

アルツハイマーの父に聞いても、もちろん何も覚えていません。

すると向かいのベッドの覚醒剤のお兄さんが

「お父さん、やられちゃったのね。

僕も詳しくは知らないけど、

お父さん、夜中いつも随分騒いでたから…。

でも、ここじゃこんなこと、あることよ。」と言うのです。

結局うやむやのまま、我慢するしかありませんでした…。

 

また、母が父のために差し入れた結構な量の自家製梅干しを

ナースステーションの冷蔵庫に預かってもらっていたのですが、

ある時全て無くなっていました。

あんなにあったのに、どうして?

看護師さんに聞いても、みんな知らないと…

仕方ない…ここは、普通の病棟では無いのです。

 

そして、父が入院してから1年が過ぎようとしていた頃、

突然、母から「お父さんが危篤だって!すぐ病院に来て!」

と電話がきたのです!!

「え?どうして!?先週まで元気だったじゃない?」

もう、とるものもとりあえず

転がる様に慌てて病院に駆けつけると

母と弟がお医者さんから説明を聞いているところでした。

お医者さんの説明では

父は誤嚥性肺炎を起こし、すでに危篤状態となり

今は内科病棟に移っているとのことでした。

 

この3日前に、母が1人で父を見舞っていました。

その際、ちょっと顔が赤いと思ったので父に聞いたらしいのですが

「大丈夫だ。」と返事をしたとか。

看護師さんに聞いても、いつもと変わりは無いと言われ

そうかな…と思って帰宅したそうです。

しかし、すでにその時には発熱していた可能性が高いと思います。

でも…ここは普通の病棟では無いのです…。

 

内科に移った父の元へ向かうと、

まず清潔な部屋と親切な看護師さんの対応に安心しました。

1年振りに人間らしい環境に戻った父を見て、

もうあの精神病棟には戻らないで欲しい…と

強く強く思いました。

それはすなわち、父の死を覚悟し、望んだも同然でしたが…

でも、それが本音だったのです。

 

父は危篤状態とは言え意識はあり、

酸素チューブで鼻に酸素を送って

点滴を打っているだけでした。

「これで危篤?」と思いましたが、

お医者さんが言うには

点滴で肺の炎症を抑えているけど、

薬の副作用で心拍数がかなり上がっていて

24時間フルマラソンを走り続けているのと同じ状態だとか。

このままでいくと、炎症が収まる前に心臓が持たないだろう…

ということでした。

 

父はアルツハイマー病を患っているので

家族が泊まりでつくことになり、

初日から5日は母が泊まりました。

そして6日目は私が泊まり、

7日目に父は帰らぬ人となりました。

 

7日目の朝、お医者さんに家族が呼ばれ、

今朝、急に父の片足が壊疽を起こして

このままだと足を切断しなければならなくなったと告げられました。

ただ…切断したところで命が持つかどうかで、

どうしたらいいかという相談でした。

 

40年以上糖尿病を患っていた父が最も恐れていた

足の壊疽…。

でも、今、切断なんかしたってあと何日生きられるの?

お医者さんに余命を聞いても全く分からないとのお返事…。

とにかく、今日中に判断しなければならないとのことでしたが、

一旦話しを終え、母と弟と父の元へ向かいました。

 

病室で寝ている父の足元の布団をめくってみると

紫色になった足が見えました。

幸い、本人は気づいていなさそうなのが唯一の救い…。

父は意識があり、目だけでもみんなに挨拶をしようとします。

 

すると、看護師さんがガラガラと

救急救命用具一式を部屋に運び込んできたのです。

「これは…?」と聞くと

「一応のために用意だけね。」というお返事。

そして、「これからシーツ交換しますね〜。」とのこと。

「あれ?昨日してもらったばっかりですよ。」と言うと

「ええ、ええ、いいんですよ〜。」と言うのです…。

これってもしかして…

今日が父の最期だって知ってるんじゃ…?

回診に周って来た先程のお医者さんに

「もしかして、父は今日亡くなるんでしょうか?」と聞いても

「それは分かりません。」とのお返事でしたが…。

 

結局、様々な事柄から父の命は長くないだろうと判断した私達は

足の切断はしないという結論を出しました。

そして、その日の夜10時頃のこと。

それまで眠っていた父が急に目を開け、

怯えた表情で天井を右左と目で追いだしたのです。

「どうしたの?誰かいるの?」と聞いても

怯えきった目でキョロキョロするばかり。

そして11時頃になると、急に血圧が下がり始め

お医者さんと看護師さんが飛んで来ました。

 

お医者さんが処置をする間、

普通、家族は病室から出されると思うのですが、

元々精神病棟からの患者しか受け入れておらず、

誰の面会も来ないのが普通のこの内科では

こういった光景が今まであまり無かったのか、

家族のいる目の前で処置が施されました。

しかし、点滴を早めたことで父の心拍数は激しく上がり

苦しそうでたまりません。

「延命治療はいりません。」という私達の意向をお医者さんは汲んでくれて

早々に処置は終わり、後は母と私と弟で次々と父の手を握り、

最期のお別れを告げていきました。

「お父さん、いつもかわいがってくれてありがとう。

私はお父さんが大好きだったよ。

お父さんの子で幸せだったよ。

今まで苦しかったね。

頑張ったね。

一緒にいてあげられなくてごめんね。

ありがとう。

さよなら…。」

 

すると、アルツハイマーで会話も難しくなっていた父が

一筋の涙を流し、苦しそうに絞り出した声で

「あ…ありがとう。」と言ったのです。

そして心臓が明らかに弱く打つ様になり、だんだん間隔も空き…

そして、そのまま目を閉じ、二度と開くことはありませんでした。

お医者さんが脈と瞳孔を確認し、

「○月○日、○時○分、ご臨終です。」と静かに告げられました。

お父さん、もうあの苦しかった精神病棟に戻らなくていいんだよ。

良かったね。

みんなで一緒に家に帰ろう…。

父の最期は特殊な環境だったこともあり、

本当に最期の心臓が脈打ち止まるまで

側で送ってあげることができました。

たった1人であの精神病棟に1年もいて

本当に苦しかったと思います。

でも、最期は人間らしい場所で

みんなで見送ることができて本当に良かったと思います。

 

精神病棟の患者さんは帰るところが無い方が多く、

もう何十年も入っている方も少なくないそうです。

父は高齢だったこともあり、

入院期間が短くまだマシな方だったと思いますが

今でもあそこにいるであろうあの人達を思うと

辛い気持ちになります。

 

どれだけ酔っても、暴力や暴言を吐いたことは一度も無く

ただニコニコと大人しかった父。

それでも、やはりお酒は

周りの人間も全て不幸にさせる魔力を持っているのです。

お酒は合法の飲み物で

成人であれば、いつでも誰でも気軽に買うことができ、

違法薬物の様なダークなイメージは全くありません。

でも、行き着く先は合法、違法に関わらず同じ

バイオハザードの世界…。

 

私自身もアルコール依存性の一歩手前まで

アルコールのコントロールができなくなって苦しんだ経験があります↓

アルコール依存症一歩手前だった私が、ある日急に一滴もお酒を飲みたくなくなった話し。

でも、もう体が拒否して受け付けなくなり、

全く飲まない生活が8年続いています。

家族や周囲の人達にお酒で迷惑をかけてしまうのではないか…?

という心配から完全に解放され、心底ホッとしながら暮らしています。

父もアルコール依存性にならなければ

もっともっと違う人生を送れていただろうに…。

 

お酒は合法であっても

決して自分を助けてくれるものではありません。

それどころか、自分も周囲の人達も

全てを苦しめて地獄に落とす恐ろしい薬物です。

それを、父が身をもって私に教えてくれたのかもしれないと

今では思っています。





アルコール依存症一歩手前だった私が、ある日急に一滴もお酒を飲みたくなくなった話し。

私の両親は共にお酒を飲む人達で、

特に父親はアルコール依存症だったので毎日大量に飲酒していました。

アルコール依存症だった父の最期に、アルコール依存症寸前だった私が思ったこと。

 

そんな家庭で育った私も21歳の頃から何となく晩酌を始め、

それからはあっという間に毎日飲まない日は無いという状態になっていきました。

 

夫と結婚した25歳の頃には晩酌で500mlの缶ビールを毎日3本。

多い時にはさらにチューハイや梅酒など甘いお酒もプラスして飲んでいました。

最初は下戸だった夫も

だんだん私につられて毎日ビールやワインを飲むようになり、

今でも毎日350mlの缶ビール1本にチューハイ1缶かワインなどを飲んでいます。

しかし、夫の酒量はこれ以上増える様子は無いので

アルコール依存症にならない人というのは

こういう風な感じなんだなと思います。

 

対する私は、結婚当初にはすでに飲酒量のコントロールが難しくなっており

少し減らそうと思っても出来ない日々で

ビールの代わりに炭酸水を飲んだりと

人知れず工夫しては挫折する日々でした。

 

子供を妊娠中はつわりが酷かったり、切迫早産で入院したりで

お酒は飲まずに済んでいたのですが

産後、母乳育児を終えると

また以前の様に毎日お酒を飲む生活に戻っていきました。

出産して専業主婦になり、年子の育児のストレスもあり、

ビールやチューハイ、ワインに焼酎まで

毎日夕方から飲み始め、夜にはかなり酔ってしまう毎日。

酒量のコントロールは全く出来なくなっており、

夫や子供に随分心配と迷惑をかけたと思います。

 

そんな生活でも、私の周りにはお酒を毎日飲む人達が多く、

自分でもそんなに問題だとは思っていませんでした。

しかし、娘が小学5年生、息子が4年生の時、

自分でも、毎日母親がこんなに酔っ払ってばかりでは

子供の将来に悪影響を与えてしまう、

とお酒を減らしたいと切に願っていた時です。

 

夕食後いつもの様に500mlの缶ビールを1缶飲んだ後に、

これまたいつもの様に赤ワインをマグカップに注いで

ゴクゴクと飲みました。

すると…

急に気持ち悪くなり吐いてしまったのです。

「アレ?体調悪いのかな?」と思ったものの、もったいないと

またマグカップに残ったワインを飲もうと思ったのですが

どうしても飲めずに捨ててしまいました。

こんなことは、今まで無かったので少々驚きましたが

たまたま体調不良だったんだと気にしませんでした。

 

そして、次の日

夕飯時に意気揚々とコップにビールを注いで

いつもの様に飲もうとすると…

どうしてもアルコール臭が鼻について飲めないのです。

何とか一口飲んだものの、全く美味しくありません。

仕方なくビールは夫に譲り、性懲りもなく今度は赤ワインを飲むことにしました。

ビールよりは口当たりが良いせいか多少は飲めましたが、

また急に気持ち悪くなり吐いてしまいました。

さすがに2日連続でこんなことって…

でも、お酒を受け付けない以外に体調は一切悪くなく

むしろ、変に悪酔いするより精神的にも肉体的にも楽だったので、

この日限りで一切お酒は飲まなくなりました。

飲まない様にしてるのではなく、飲みたくなくなったのです。

 

しかし、あれだけ大量に飲酒していた私が急にお酒を飲まないと言っても

最初は周りになかなか信じてもらえず、

「無理しなくてもいいよ。」とか「一口飲んでごらん。」とか、

ノンアルコールビールを用意してくれたりと、

色々気遣ってもらいました。

でも、無理して禁酒してるんじゃなく

もう、アルコール臭を嗅いだだけで一切飲む気がしなくなり、

逆に、みんなあんな毒物をどうして自ら進んで摂取しているんだろうと思うくらい

お酒自体が嫌でたまらなくなってしまったのです。

 

それまで、どう頑張って減らそうと思っても

毎日、必ず大量に飲んでしまっていたお酒と

こんな形であっさりお別れできたのは

本当に不思議としか言い様が無いのですが、

もしかしたら、アルコール依存症で苦しんで亡くなった父が

私を助けてくれたのかもしれないとも思うのです。

 

その頃の私は夜には必ず泥酔し、

時にはキッチンの床で眠ってしまう程でした。

当時小学5年生だった娘がそんな私の姿を見て

「ママ、またお酒飲んでるの…?」と寂しそうに聞いてきた声が

今でも耳に残っています…。

これじゃあ、今の娘は私が幼かった頃と同じだ。

いつも酔って倒れている父を見ると、

お酒の飲み過ぎで早く死んじゃうんじゃないか?

またお母さんに怒られるんじゃないか?と

心配しない日はありませんでした。

こんなことじゃいけない。

子供達にも夫にも心配と迷惑をかけている。

お酒をやめたい!

どうか、どうか神様!

助けて下さい!

私にお酒をやめさせて下さい!

自分ではどうしようも無い状態になっていたにも関わらず、

病院にかかる勇気も無く、

とにかく神頼みをする毎日だったのですが、

そんな神頼みを真剣に始めてから数週間で

急にお酒を受け付けなくなってしまったのです。

 

こんな都合の良いことが起こるなんて

普通では考えにくく、

単に長年の飲酒で内臓が弱っていたため

もう体がアルコールを受け付けなくなっただけなのかもしれませんが、

その後も、お酒をやめさせてくれたかもしれない神様と

父には毎日感謝しています。

 

お酒の怖さを、もっと若い頃から知っていたら

あそこまでになる程

最初からお酒を飲んでいなかったかもしれません。

私の若い頃は

まだ飲み会でのイッキなど、飲酒の強要は当たり前で、

むしろお酒を飲めないなんて一人前じゃないという空気でした。

でも、今の子供達は小学校で飲酒の怖さについて学んでいる様で

本当に良いことだと思います。

 

子供達の記憶には

私がお酒を飲んでいたことは残っていますが、

そう大きなダメージにはなっていない様で本当に良かったです。

ただ、お酒を飲めなくなって1年くらいした頃に、

気遣ってノンアルコールビールを出してくれたお家がありました。

私がそれを飲んだ瞬間、2人の子供達が走り寄って来て

「ママ!お酒飲んじゃったの!?」と驚いて聞いてきた時に

そこまで心配かけてたなんて…

もう飲まないで欲しいと思ってたんだ…

と、本当に申し訳なく思いました。

「これお酒入ってないんだよ。」と言うと

「な〜んだ。ビックリした〜。

またママお酒飲む様になったのかと思ったから良かった〜。」

と言われ、更に反省…。

もう二度と飲まないから安心して…。

いや、もう体が受け付けなくて飲めないから絶対大丈夫だよ…。

本当にお酒を飲めなくなって良かった…。

神様、お父さん、ありがとう…。

私、少しはこの子達の母親として恥ずかしくないよね…。

 

一度なると二度と治らないと言われる

アルコール依存症の一歩手前までいっていた私が、

なぜか急にお酒を受け付けなくなって救われたお話でした…。





アルコール依存症だった父の最期に、アルコール依存症寸前だった私が思ったこと。

私の父親は昭和3年生まれです。

昭和15年生まれの母とは、年の差婚の再婚で

初婚だった母と結婚した時からすでにアルコール依存症だった様です。

私が幼少の頃には

取手付ボトルに入った大容量のウィスキーが部屋に何本も置かれており、

そのボトルを2日で空ける勢いでした。

 

父は幸い、酔っても大人しいタイプで

暴力や暴言は一切無く、

むしろニコニコしながら泥酔し、前後不覚になる毎日。

朝起きた母が、リビングで倒れている父を怒鳴り、

時には皿を投げつけたり、

食べ残しを父の頭からかけたりという

暴力を振るって起こすという光景が恒例で

幼かった私にとって、酔った父より、

むしろその後、私へも激しく八つ当たりしてくる母が恐ろしかったです。

そんな父の飲酒は年を追うごとに酷くなり、

最後はアルコール性小脳萎縮で半身不随となり、

またアルコール性アルツハイマーも併発し、

79歳で精神病院の鍵付き病棟へ入らざるを得ないことになってしまいました。

幸いなのか、糖尿病を患っていても悪化せず、肝臓も丈夫だった様で

お医者さんにも、

「アルコールで小脳萎縮まで行く前に普通は肝臓がやられてしまうから、

あまり症例としては無いんですよ。」と言われましたが…。

 

父の最期は、精神病院に併設の内科病棟で、

病名は誤嚥性肺炎でした。

精神病院に入院してちょうど1年後のことでした。

どうしてこんなことに…

もっともっと早くにアルコール依存症の治療をしていれば…

いや、その前にお酒は有害だという教育が行き渡っていれば…

男は大酒飲みの方がイキだという時代の弊害なんじゃないか…。

 

父の入院していた精神病院には色んな依存症患者がいて

同部屋には覚醒剤中毒で入院している人もいました。

見舞いの家族など私達くらいのせいか

たいして整頓もされない薄汚れた大部屋の空間で

みんな訳の分からないことをずっと叫んだり、

ボーッと壁に向かってぶつかり続けていたり…。

看護師さん達は防弾ガラスの向こうのナースステーションに入ったきりで

ほぼ無視されて過ごす毎日。

お酒は合法ではありますが、

最終的には違法薬物中毒患者達と同じ部屋で

さながら地獄絵図の中で過ごさなければならない現実がそこにはありました。

 

私が、父が誤嚥性肺炎を発症して入院した内科病棟に泊まり込んだ夜、

隣の部屋に、同じ精神病棟から入院して来ていた年配の男性がいました。

その日、危篤に陥った様で深夜の廊下がバタバタと騒がしくなりました。

お医者さんが駆けつけて来て、看護師さんに

「ご家族に連絡して!最後の面会になるから。」と言う声が聞こえ

看護師さんが「はい!」と走っていきました。

しかし、ややしばらくして戻って来た看護師さんの

「奥さんと息子さんに連絡はついたんですが…

どちらもお見えにならないそうです…。」と言う声が聞こえてきました。

お医者さんは「仕方ない…。」と人工呼吸を行なっている様子です。

そして、しばらくして

「○月○日、○時○分、ご臨終です。」と言うお医者さんの声…。

隣の部屋で偶然にも一部始終を聞いてしまった私は

お医者さんと看護師さんにだけ見送られて

寂しく1人で亡くなっていった男性の人生を考えずにいられませんでした。

あの男性は、きっと、家族にはすごく迷惑をかけて来たんだろうな…

結婚して子供にも恵まれて幸せだった時もあったはずなのに…

どうしてそうなっちゃったのかな…

こんな最期を迎えることが分かってたら

お酒や薬に最初から手を出したかな…。

当時、私自身もアルコールのコントロールが難しくなっていた時だったので

この出来事は心に深く深く刺さりました。

 

この2日後に、父も危篤に陥り、帰らぬ人となりましたが、

むしろホッとした自分がいました。

だって、治って帰るのがあの地獄の精神病棟しか無いなんて

かわいそう過ぎると思ったからです。

当時、私の子供達は2人共幼稚園児で

私が実家に通って面倒を見るとかいうレベルではありませんでした。

母は、大人しいとは言え

毎日毎日、前後不覚になるまで泥酔する父には非常に辛辣で

半身不随でアルツハイマーになった父が精神病院に入院する直前には

母から父への暴力と暴言がエスカレートしていたのです。

 

私にとっての父はとても優しくて、

再婚して晩婚でやっと出来た最初の子の私をいつも可愛がってくれた人でした。

アルコール依存症になる前には優秀だった様で、

当時としては珍しく、地域でも最難関の四年生大学を出ていました。

最初の結婚には失敗して、奥さんに逃げられたと聞きましたが、

そのショックからしばらく引きこもりとなり、一気に大量飲酒が始まり、

アルコール依存症になっていった様でした。

 

父は自営業で飲食店を営んでいたこともあり、

昼から飲酒していても、周りに咎められることは無かった様です。

その環境がますますアルコール依存症を悪化させ、

早期の治療機会を逃したと思います。

また、酔っても大人しく

家族にもニコニコしているだけだったので

母も特に問題意識を持っていませんでした。

ただ、酔ってトイレの場所を間違える、

食べ物の散乱する中で泥酔して爆睡している、

酔っている時の話しは一切覚えていない、

こういったことは母を怒り狂わせ、

父がことに可愛がっていた私に激しく八つ当たりをすることで

父への見せしめにしていたのではないかと思います。

 

こうした要因が重なったことで治療機会を得なかったアルコール依存症の父は

アルコールによってどんどん体と心を蝕まれ、

最後は精神病院に入院してしまいました。

私も父が亡くなった後5年間くらいはお酒を毎日飲んでいたのですが、

不思議なことにある日を境にアルコールが嫌になって一切飲めなくなり、

それ以来、この8年間全く飲んでいません。

あんなひどい依存症患者の最期を見て

お酒は怖いと思っても辞められずにいたのに…

今では、もしかしたら父が助けてくれたのかもしれないと思っています。

アルコール依存症一歩手前だった私が、ある日急に一滴もお酒を飲みたくなくなった話し。

 

あのまま、お酒を飲み続けていたら…

私も最期は精神病院に入院して

危篤になっても夫や子供達にも来てもらえないどころか、

夫や子供達の心にも大きな傷を残して

その後の人生を生きづらくさせていたと思います。

 

お酒は合法で、依存症になる人もいればならない人もいます。

でも、依存症になったら最後、

違法薬物中毒患者と同じ環境で過ごすのです。

ということは、合法か違法かではなく、

お酒も恐ろしい薬物であるということです。

作用は覚醒剤ほど急激ではありませんが、

長年かけて、人の体と心を蝕み、

その周囲の人間にも深い傷を残すのです。

 

テレビでお酒のコマーシャルが流れているのを見ると

どうしてこんな毒物を

「爽快」とか「のどごし!」とか「リラックス」とかいう言葉で

オシャレな若い女性タレントさんや、大人の雰囲気の役者さんに演じさせて、

いかにも「良いものだからみんな飲もう」という風に宣伝するのか疑問に思います。

アルコールは少しならむしろ体に良いとも聞きますが、

少しじゃ抑えられなくなった時、

一気に暴走を始め、その人とその人の周りの人生を奪うのです。

 

私もお酒の美味しさや楽しさは知っています。

でも、今思うと本当に美味しかったのかは疑問です。

むしろ、アルコール臭は不味いと思うのが普通の感覚なのではないでしょうか?

また、酔って楽しいのは相手がどうこうじゃなく、

ただ自分がお酒によって脳のタガが外れている状態で、

普段は抑制されているものが解放されているという楽しさなのです。

お酒に溺れてしまうのには

自分に自信が無いとか、

いたくない環境に我慢していなくてはいけない辛さとか、

それぞれに要因はあると思います。

でも、それは負の感情であることは間違いなく、

アルコールでまやかしの幸せ感を手に入れた様な気になっているのに過ぎないのです。

要は、お酒に騙されている状態です。

どれだけお酒に逃げてすがっても、

最初、楽しい顔を見せてくれたはずのお酒は

最後は私と私の周りの人達を地獄に突き落とすのです。

これは、私がお酒を受け付けなくなってすぐに気付いたことで、

今まであれだけ楽しかったお酒が急に悪魔に見えた瞬間でした。

もう騙されない!

気付けば幼少の頃からずっと私と私の家族を苦しめて来て、

大事なお父さんの人格も体も人生も破壊したお酒…。

今、もしお酒の量をコントロールできなくて苦しんでいる方がいたら

どうかお酒の本当の姿に気付いて欲しいです。

お酒は味方じゃありません。

味方のフリをして入り込んで来る詐欺師です。

自分では辞めることが難しいと思うので、

病院に行って相談して下さい。

お酒なんか飲まない方がずっと自分に自信が持てるし、

周りからも信頼されるし、

周りの人達も自分も楽しませることが出来ます。

 

何より、また今日も飲み過ぎてしまったという劣等感や、

二日酔いの苦しさを家族の前や職場で隠す辛さ、

心配して注意して怒ってくる家族の抱える嫌な気持ち、

そういったこと全てから解放されます。

 

私も未だに、本当にお酒を飲めなくなって良かったと

心の底から思うことが何度もあります。

前の私なら、こういうお酒の席は絶対断らず、

家族との時間よりお酒を飲む時間を優先させてたな、とか

こういったシチュエーションでは昼からでも必ずお酒を飲んで

時間の感覚が分からなくなって帰りが遅くなり、

家族に心配かけてたな、とか

お酒を飲んで気が大きくなって言わなくていいことを言ってたな、とか

こういうところでも当たり前にお酒を飲んで酔っ払い

子供達に心配かけてたな、とか…

数え上げればキリがありませんし、

お酒を飲む人なら思い当たることばかりだと思います。

 

お酒を飲まないことで見えてくるものはたくさんあります。

今後はコロナの影響でオンライン化が進み、

お酒はもう人付き合いの手段では無くなる日も近いでしょう。

私自身、過去を振り返ってみても

お酒の席で得たものは何もありません。

むしろ、嫌な思い出や恥ずかしい失態ばかりです。

 

私の知っている父はいつもお酒に酔っていました。

入院してシラフだった時の父は

いつもよりニコニコもしてなかったし、

いつもより優しくなかったと思います。

もしかして、あの優しかった父の顔は

お酒によって作り出されていただけで

本当の父の素顔は全く違うものだったのかもしれません。

そう考えると

私の育った家族は、お酒によって完全に破壊されていたと言えます。

 

今、私は自分の大事な夫と子供達に、

お酒によって私が経験した、

辛くて怖くて悲しくて寂しくて虚しくて、

お酒を飲む本人からではないけども、

暴力と暴言を受ける理不尽な思い、

不信感でいっぱいな思いをさせないで済んでいるので

本当に良かったと思っています。

 

自分にとって何が一番大切で、

何を一番に優先させなければならないのか…。

お酒は最後に自分を助けてはくれません。

必ず裏切ります。

どうか、お酒の表の顔に騙されないで下さい。

アルコール依存症寸前だった私が、

お酒の本当の怖さを痛感したお話でした…。